若い世代の方は違いますけど、昭和世代にとって
ビートルズの誰でも知ってると言われる曲は
いくつかパッと頭に浮かび、口からこぼれます。
でもそうではない曲の方が多いのです。この
「Getting Better」もそんな一曲なのですが、
ジョンの差し込んだワンフレーズをポールが
今もなお絶賛している曲でもあります!
ビートルズは中期に百花繚乱となる
アメリカではモンキーズにレコード売り上げで引き離され、
イギリスでは「ペニー・レイン」がまさかの2位止まりで、
連続No1.が途切れたりもあったが、そんなことは些細な話で、
ビートルズの中期は地球を手玉にする勢いだった。
そもそもビートルズ中期はいつ頃か
ビートルズは疲れ知らずに見えたアイドル時代を前期、
疲れが重くのしかかり、年齢以上に老成して見えた
時代を後期とするなら、やはり1965年12月に発売された
「ラバー・ソウル」から初めての失敗と言われた映画
「マジカル・ミステリー・ツアー」(1967年12月)、その後
アメリカで独自編集し発売された同アルバム(1967年)
あたりではないでしょうか。
何年間も精力的にこなしていたライブツアーを止めて、
長い休暇のあとで誕生したのが、世紀の名盤と言われる
「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブ・バンド」です。
中期の代表作〖サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブ・バンド〗
中期だけでなく、ビートルズ全期の最高峰と言われることの多い
このアルバムは1967年6月にリリースされました。
発表直後から口の悪い評論家陣も一斉に絶賛し、ライバルの
ミュージシャンたちはぶっ通しで聞き続ける他ありませんでした。
「まるで顔に手袋をたたきつけられたみたいだった。それほどすごい挑戦だったんだ」
ジョン・セバスチャン(ラヴィン・スプーンフル)
長らくロックアルバムの1位に君臨した〖ペパーズ〗
ローリングストーン誌「500 Greatest Albums of All Time」で
長らく1位の座に君臨していましたが、2020年データでは前回(2003年)の
1位から24位に大転落。すべて0から見直しました的なことが書いて
ありましたけど、ちょっと極端じゃないでしょうか。加えて前回は
ベスト10に4枚入っていたビートルズのアルバムすべてがランクダウンしました。
ペパーズ以外のアルバムでは
・「リボルバー」3位⇒11位
・「ラバー・ソウル」5位⇒35位
・「ザ・ビートルズ」10位⇒29位
逆に「アビー・ロード」が14位から5位に急上昇しています。
私もその大昔、初めてステレオ(これも古い)で全曲聞いたときは
恐ろしいほどの高揚感に包まれて、ステレオの前で立ち上がれません
でした。腰と魂が抜けたような感じだったのです。レコードだからA面が
終わったらB面にひっくり返したはずですが、まったく記憶がありません。
そんな気分になったのは後にも先にもこのアルバムだけです。
このペパーズのA面の4曲目に収められている〚Getting Better〛が
ワサビ的ワンフレーズが光る一曲なのです。
ビートルズ誰でも知ってる曲、じゃない〚Getting Better〛
ペパーズの中では数少ないポジティブなポジションの曲。
レノン=マッカートニー名義だがほとんどポールが手掛けた。
〚Getting Better〛が誕生した経緯
きっかけ:ポールが愛犬マーサを連れて散歩中に
由来:だんだん良くなると呟いたとき、ジミー・ニコル(以前にリンゴの代役をしたドラマー)の
口癖だったと思い出した
制作:ジョンに共作を持ちかけて実現
場所:セント・ジョンズ・ウッズのポールの家
レコーディングデータ:1967年3月9日 アビーロード・スタジオ
付記:ジョージの演奏するタンブーラがインド風のテイストを加える
付記:ジョージ・マーティンはピアノの鍵盤ではなくピアノ線を叩いている
〚Getting Better〛に登場する一人の男
一人の若い男の成長がテーマ。
曲はポールらしい明るく軽快な感じでありながら、
詞はどこかやりきれなさを払拭できないでいる
一人の若い男を描いています。
男は学校を嫌い、出会った女性をひどく
傷つけた過去を持っています。この部分を書いた
ジョンは自分のことだと後に語りました。
ここで一人の女性が登場します。この男の
彼女になった人です。転機が訪れたのです。
だから男は”getting better”と自分に
言い聞かせることができるようになりました。
ポールが全体の物語をつくって男を登場させ、
ジョンがキャラ設定で掘り下げた感じでしょうか。
プラマイゼロの男がプラスを重ねていく平凡な
状況ではなく、彼女を得て、どん底を足で蹴って
日の当たる方へ浮き上がる男が見えてきました。
なぜポールはいっしょに作ろうと持ち掛けたのか
「フィクシング・ア・ホール」や「ラブリー・リタ」のように
ポール単独でも成立していたはず。
しかしジョンとは「ウィズ・ア・リトル・フロム・マイ・フレンド」で
主に作詞面で共作しています。
さらに「シーズ・リービング・ホーム」の掛け合いとなるバックコーラスは
ジョンが作ったとポールが語っています。
この話はとても意外でした。
てっきりポールが全部作ったんだとずっと思っていましたので。
ポールはひとりで作れるし、楽器もオールラウンドにこなせるから、コラボする必要は
ないのです。ポールがもっと自我の強い人間なら、絶対一人でつくったと思います。
ポールは自分より他の人に関心を向ける
ポールは自分より家族や友人、他の人に関心を向けます。
自分だけの話はあまりせず、常に誰かとの関りの中で自分を話します。
そんなポールなので作品にも多くの人物が登場します。
「エリナー・リグビー」「マックスウェル」「ジョジョ」「ジュード」「マーサ(愛犬)」
「リタ」「ミッシェル」etc.名もなき人はもっとたくさん登場しています。
だからコラボするという関係性が好きだったのです。
特にジョンとコラボすれば、より良い作品になることがわかっていたので。
反対にジョンは内面の自分を書くことが自然でした。
ポールお気に入りのフレーズ “It can’t get much worse. “
ポールはプレイボーイ1984年12月号のインタビュー記事の
中でジョンのこのフレーズに2度も触れています。2度もです。
さらに1997年に出版された自伝的大著「Many Years From Now」でも
このエピソードは2回登場します。だからまちがいなくジョンに関する
創作エピソードの中で、ポールの最もお気に入りのひとつと言えます。
ポールはインタビューでこう語った(Part1)
ポールはジョンの刺し込んできたワンフレーズにこう語りました。
『PAUL: Wrote that at my house in St. Johns Wood. All I remember is that I said, “It’s getting better all the time,” and John contributed the legendary line “It couldn’t get much worse.” Which I thought was very good. Against the spirit of that song, which was alt superoptimistic—then there’s that lovely little sardonic line. Typical John.』
{Paul McCartney: The Complete Playboy Interview, 1984より引用}
DeepLによる翻訳
ポール:セント・ジョンズ・ウッドの僕の家で書いたんだ。覚えているのは、僕が “It’s getting better all the time. “と言ったこと、そしてジョンが “It couldn’t get much worse. “という伝説的なセリフを言ったことだ。それはとてもいいことだと思った。超楽観的だったあの曲の精神に反して、あのちょっと無愛想なセリフがあるんだ。ジョンらしい。
曲の中では”It can’t get much worse. “とジョンが歌って
いるので、これはポールのちょっと勘違いかどうかは不明です。
とにかくこの一行が効いた。曲にもポールにも。ポールにより効いたかも
しれない。何度もくりかえして話しているから。この一行で主人公の
若い男の状況と内面が深掘りされ、曲自体もポールの言うように、
単なる楽観的なエモーションにいきなり深みが与えられました。
曲のトーンを変えてしまう一行なのに、ポールは歓迎したのです。
この人はやっぱり普通のソングライターではないですね。いや、
ずっと頂点にいる人に違いないのですが、目の前で自分の味を
変えられて怒らないラーメン屋はいないと思うのです。
「いやあ、面白い味になった。なかなか良い」そんな感じです。
ポールはインタビューでこう語った(Part2)
インタビューの最後に他の人間とのコラボの可能性について訊かれたとき、
ポールはふたたび”It couldn’t get much worse.”を口にしました。
このジョンのフレーズでインタビューの幕は閉じています。
“I like collaboration, but the collaborartion I had with John—it’s difficult to imaging anyone else coming up to that standard. Because he was no slouch, that boy…. He was pretty hot stuff, you know. I mean, I can’t imagine anybody being there when I go sings : “It’s getting better all the time.” I just can’t imagine anybody who could chime in sings : “It couldn’t get much worse.”
{Paul McCartney: The Complete Playboy Interview, 1984より引用}
DeepLによる翻訳
コラボレーションは好きだけど、ジョンとのコラボレーションは……。だって、ジョンも負けず劣らずだったから……。彼はかなりホットな存在だったよ。つまり、僕が “どんどん良くなっている “と歌うとき、そこに誰かがいるなんて想像できない。”これ以上悪くなることはないだろう “と歌える人がいるなんて想像できないよ。
ポールが作ったこの曲の基本テーマでもあるフレーズ
“It’s getting better all the time”の
カウンターフレーズである”It can’t get much worse “
「いいぞ、すべてがだんだん良くなってくる」といかにも
ポールらしい絵が浮かびます。すこし顎をあげて鼻歌でも
口ずさんで郊外の道を歩く若い男・・・そこに一陣の風が
耳元で「これ以上悪くなれやしないさ」と吹きつける。
楽しかった気分に冷水を浴びせられたかに見えるけど、
ポールは喜んだ。しかもかなり喜んだ。何年経っても、
何十年経っても、今でもたぶん喜んでいる。
それくらいジョンのこのフレーズが気に入っているのです。
“It’s getting better all the time”=どんどん良くなっていく
“It can’t get more worse”=これ以上悪くならない=脱出しつつある
一見相反するこの2つのフレーズは、実はどちらも前向きな内面を表した、
背中合わせの関係に思えます。
以上が寿司とワサビとの関係に似た、〚Getting Better〛と
“It can’t get more worse”の効果な話題でした。
ビートルズ中期の傑作選~ビートルズを知らない方へ
ビートルズをまったく知らない、ほとんど知らない、
おじいちゃんの好きなバンドなど初心者の方に
ざっくりとビートルズのことをお伝えします。
ビートルズがいちばん充実していた時期なので、
すばらしい作品群となっています。その一部と
あわせて主な出来事・Q&Aを紹介します。
ビートルズ中期・アルバム
「ラバー・ソウル」
「リボルバー」
「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブ・バンド」
「マジカルミステリーツアー」
ビートルズ中期・シングル(ビルボードNo.1)
「ウィー・キャン・ワーク・イット・アウト」
「ペーパーバック・ライター」
「ペニー・レイン」
「オール・ユー・ニード・イズ・ラブ」
「ハロー・グッドバイ」
ビートルズ中期・代表曲
「ミッシェル」
「ノーウェジアン・ウッド」
「イン・マイ・ライフ」
「ヒア・ゼア・アンド・エブリホエア」
「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」etc.
ビートルズ中期・主な出来事
日本公演(1966年6月30日~7月2日)
Our World出演(世界初の衛星中継)
グラミー賞4部門受賞(ペパーズ)
おまけ
※往年のアイドル・大場久美子が
「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブ・バンド」を
カバーしていたのには驚きました。
はじめてのビートルズQ&A
Q.ビートルズの時代は?
A.1962年にレコードデビューし、1970年に解散しました。
Q.ビートルズの出身は?
A.イギリスの港町リバプールです。4人全員ここで生まれました。
Q.ビートルズのメンバーは?
A.ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人です。
Q.ビートルズの代表曲は?
A.「レット・イット・ビー」「イエスタデイ」「ヘイ・ジュード」です。
Q.世界での売上枚数は?
A.10億枚以上といわれています。
ビートルズの概要はこちら ウィキペディア・ビートルズ
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